2003.5.18
使用した資料 大正九年四月一日東京府告示第百六十四号「道路元標ノ位置ヲ左ノ通リ定ム」 出典:TTS道路元標の広場
埼玉県の道路元標位置(大正九年埼玉県告示一〇七号) 出典:adt23060さんのホームページ
人文社発行「埼玉県広域道路地図」 1992年1月版
東京地図出版発行「リンクルミリオンポケット 市街道路地図東京多摩1:15000」 2001年版
注)「出典」とは、ここにあげた資料をダウンロード(印刷)して利用させていただいたという意味です。
成木は東京都西部、青梅市と埼玉県飯能市の境目。成木街道が青梅から埼玉県名栗村へ通じている。青梅駅から上成木小学校までは路線バスがある。
東京府告示では「上成木下分、久道一、四九五番地先」とのこと。新しい地図(といっても早や十年前^^;)では地番がわからないのでバス停「久道(きゅうどう)」付近を重点的に探す。車はバス停で一つ離れた「成木五丁目」そばの「成木五丁目会館」に留めた。久道バス停までは五分も歩かない。しばらく歩いてみたが、明治三十三年道路改修の大きな記念碑はあったが道路元標はみつからない。
バス停前のお宅で、朝の掃除に出てきたご主人に尋ねてみたところ「自分が数年前、古い鳥居といっしょに『明治何年、元標』と書かれた石を上成木三丁目の熊野神社へ移動した」とのこと。「武蔵の国とか書いてあったよ」。聞き込み一件目で、何たる偶然。さっそく成木街道を戻ってY字路を飯能方面へ。
市道下畑軍畑線を走ること数分、右手の看板に「熊野神社」と「P」の文字が現れた。どこまでもまっすぐな石段(何段か忘れた)を上がって境内に入ると、荘厳な森の冷気がしみわたる。神楽の舞台もある。備え付けのノートに連絡先を書くと祭りの情報を送る、とのことで神楽見たさに書いておいた。ついでに当ホームページの宣伝も(^^)v
(その後、成木熊野神社より「本年の例大祭は10月12日です」とのお葉書をいただきました。)
電車の人は、JR青梅駅・東青梅駅・河辺駅から都営バス「裏宿町循環」または「河辺駅循環」で「成木三丁目」下車。
車道より一段高い神社の入口に、確かに古い鳥居が横たわり、その右にいくつかの案内板とともに「元標」が。
「武蔵国西多摩郡 成木村」 ここだけタイムスリップしそう。
元標の向かって左側には「位地 上成木下分字大蔵野官有地 上成木神社境内入? 右側」 (?は削れて読めない)の刻印がある(リンクをクリックすると画像が見れます)。持参の埼玉県道路地図によると大蔵野はこの神社付近の(小)字名で、大正期の道路元標とはもともと別の位置にあったのではないか。
熊野神社は東京都文化財に指定されているので、そのおこぼれにあずかり、元標も当分安泰と思われる。
結局、大正九年の「道路元標」は見つからなかった。というよりこの元標に満足して、次の小曽木村探索へ向かってしまった。
小曽木村道路元標は「南小曽木、古武士二、七八七番地ノイ地先」にあるらしい。しかし道路地図では番地改正で南小曽木や古武士がどこかわからない。唯一の手がかりは「古布市川」という川が小曽木の南部を流れていること。
結果からいうと、探索を断念。理由は、村祭りで黒沢地内が通行止めになったため。
そこで、すぐ近くの飯能市下直竹にあるらしい、南高麗村道路元標に進路変更。青梅から飯能(名栗)への抜け道であるため、実は何度か通るうちに当たりをつけておいた。成木一丁目で市道・原市場下成木線の旧道に入る。または、新道のJAいるま野・南高麗公民館前から細い道を渡り突き当たりを左折すぐで南高麗小学校。バスのじゃまにならないように停車。
電車の人は、西武池袋線飯能駅から国際興業バス「間野黒指」ゆきに乗り南高麗小学校前で下車。
飯能市立南高麗小学校校門。元標は、右側花壇の片隅に。
学校教育にも生かされているのか?なぜか校内の至る所に道しるべがあった。「職員室」「校庭」など、道案内完備の学校なのでした。
日曜も午後になると、道が混んでくる。朝早かったのでそろそろ帰る方向へ。ついでに、当たりをつけておいた元標をもうひとつ通りかかってみる。
前から怪しく思っていた市道所沢青梅線三叉路のJAいるま野三ケ島支店・・・えいっと車を乗りつけ、とりあえず隣のファミリーマートで何か買おうと車をおりたら、交差点のガードレールに隠れるように元標があった。金子村のような置き方を期待していたので見つからないわけだ。車からは見えないかも。
元標探索におけるJA、学校、役場(公共施設)の三大ポイントの有効性を実感。それと地元の長老情報。有意義なドライブだった。
微妙なガードレール。所沢市街から来たら、見えるかな・・・?