2002.4.28作成
すでに詳しく解説されたサイトなどもありまして恐縮ですが、自分の頭の整理をかねて、インターネットと図書館で調査した範囲で、簡単な解説を書きます。
道路元標とは、旧・道路法、同施行令に「道路の付属物」として規定され、同法に基づき設置されていたものです。 (注1)
社会科で「日本の道路起点は東京・日本橋」と教わったことがあるかと思いますが、その根拠は(現行法規でなく歴史的な経緯を考慮すると)おそらく明治6年12月、太政官第413号による「道路里程調査」の際、国内諸街道の起点として日本橋と京都・三条大橋それぞれの「橋の中央」と定めたことにあるようです。さらに明治18年内務省告示第6号別表「国道表」では、日本橋を起点に各方面への国道網が示されています。
その後主要国道の整備に伴い道路法(大正8年制定、法律第58号)を制定し、その施行令(同年制定、勅令第460号)でつぎのように定めました。
・道路元標は各市町村に一個設置する。設置義務者は道路の管理者とする。
・道府県庁、市町村の所在地を国道・府県道の起点とするときは、道路元標の設置地点を起点とする。
こうして狭い島国に、やがて総延長115万kmを超える道路網が整備される基礎が据えられたというわけです。 (注2)
(なお現在の道路は、昭和27年に制定された道路法によっています。この新道路法には、道路元標の設置義務はありません。)
道路元標は、先人の努力の証。戦前の町村名を残し伝える歴史的証人でもあります。
もしかしたらあなたの近くにも、ひっそりと残されているかも知れません。探して、その位置と姿を記録にとどめませんか。
・通達を探す
道路関係の官報記載事項、法令を集めたすばらしいホームページがあります。・・・ 「日本の道」 の「道路法令集」
図書館や公文書館に眠る「官報」や「県報」で、おおむね旧道路法施行前後、大正9年から数年間に掲載されているはずの「道路元標ノ位置ニ関スル件」といった題名の通達です。
上記HPでも紹介されている府県があります。また栃木県については、内山氏資料により明らかにされています。(栃木県報第799号、大正9年8月27日発行)
・資料を探す
大正期の町村を今と照らし合わせて知っておくと何かと便利です。旧版地図、図書館や公文書館、郷土資料館の資料を探してみよう。
旧版地図の入手方法はこちら ・・・ 国土地理院 (まともな方法ですが、お金がかかります。近所の図書館で相談してみるのもよいでしょう)
・各市町村に問い合わせる
古くからある市町村では、資料や石が残っているかも知れません。窓口としては広報担当、郷土資料室、文化財保護関係(教育委員会)などが考えられます。
・実地踏査
とにかく出かけてみる。そして、これが案外楽しいです。道路元標の大きさは、高さ60cm、幅・奥行きは25cmと決められています。そんなような石ってよく見かけますよね。
いつもの通り道、交差点の植え込みの中にありませんか?タバコやさんの電柱の陰は?保育園が昔の役場跡だったなら、その庭は?
ドライブしながら探すのは、わき見運転になってちょっと危ないかも知れません。ミニチャリなどトランクに積んで、公園の駐車場に車をとめて、ゆっくり探しましょう。
なにごとも厳しいご時世ですので、文化財などとして手厚く保護を受けた道路元標は少ないです。そこで写真と地図上での位置を記録しておき、他の人にも教えてあげるため、ホームページを作成されることをお勧めします。簡単で、お金もかかりません。またこのホームページでもお役に立ちたいと思います。皆様からのご報告をお待ちしています。
参考資料
「道端に残る原点」 内山謙治氏資料(栃木県小山市立図書館蔵)
「現行法規総覧」武蔵野市立図書館蔵(どこの図書館にもあると思います)
ホームページ 「TTSの道路探検」 TTS氏 「日本の道」 松波成行(まつなみしげゆき)氏
国土交通省道路局 道路関係データ
注1 道路元標の規格は大正11年に制定(4月27日、内務省令第20号)。 このホームページでは一部例外があります。たとえばこれ。
また、明治時代にすでに 太政官第413号 にも「元標」の様式があります。これはかなり大きめ。